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全文翻訳自---8/可能表現---

日本語の基礎を学ぼう----learn  the  basics  of  japanese

http://learn-the-basics-of-japanese.blogspot.tw/p/s8-1-1-2-3-i-s36-eru-kak-eru-kakeru-23.html

 

可能/難易表現相關譯文

1) 034.~難い(がたい)/~辛い(づらい)/~にくい/ 044.~兼ねる/~得ない/~わけにはいかない
      ----- https://betapanel.pixnet.cc/#/edit-article/212311465 

2)017-2 . 可能形的使用時機及其狀態性-----可能と難易の表現(1)
    ---    https://betapanel.pixnet.cc/#/edit-article/212837254       

3)017-3 . 〜得る(うる・える)-----可能と難易の表現(2)
   ---  https://betapanel.pixnet.cc/#/edit-article/212838577   

4) 017-1. 可能表現---動詞的可能形 /「〜ことができる」
 --- https://betapanel.pixnet.cc/#/edit-article/212914888   

5)  017 *~得る/*~得ない   

          081 **~ことができる-------日本語表現文型辞典--- 日本語駆け込み寺

          http://viethuong.web.fc2.com/MONDAI/dictionary.html  

 


8 可能表現

所謂可能表現--乃指某人物 (或者類似的東西)具有(或不具有)實現某個動作或狀態的能力)。

可能表現的句型如下--動詞可能形及「〜ことができる」、其他尚有「〜える/うる」及表現不可能意味「〜かねる」等...。
 

1.可能形句子造法

(1) 来日したときはひらがなも書けなかったが、今は漢字も書ける。
(2) 食べられない料理がある人は食べられるものだけ食べてください。
(3) 勉強したいのだが、忙しくて勉強できない。

 

● I類動詞の可能形は語幹 (→S36) に-eruを付けて作ります。

書く 語幹 kak- + -eru - kakeru (書ける)

読む 語幹 yom- + -eru -yomeru (読める)
 

●Ⅱ類動詞の可能形は語幹に-rareruをつけます。

見る 語幹 mi- + -rareru - mirareru (見られる)
出る 語幹 de- + -rareru -- derareru (出られる)

 

Ⅲ類の「来る」もⅡ類と基本的に同じですが、語幹の母音が変化します。

来る 語幹 ku- + -rareru -- korareru (来られる)
 

●「する的可能形是「できる」。「勉強する」等...的サ変動詞之可能形也可變成「勉強できる」等..。「愛する」等...一部分的サ変動詞則採用  「 I類動詞 」的「愛す」的可能形=「愛せる」(→コラム「相補分布」)。

 

●I類動詞および「来る」的可能形最近也有人常用「見れる、出れる、来れる」等等所謂「ラ抜き言葉」。
 

 

2. 可能表現之意味

(1) 田中さんは100メートルを12秒で走れる。
(2) この木の実は食べられます。

 

●可能表現至少有兩種意味。 例句(1)用以表示-作為動作主的「田中さん」有做「走る」這個動作的能力。

例句(2)的場合、「この木の実」是「だれかがこの木の実を食べる」的句中之 「食べる」的動作的対象。以動作的対象作為主語、乃用以表示-此対象所接受的動作之可能性。又者、如例句(4)--則是以道具作為主語、用以表示-運用此道具而做動作之可能性。
 

(3) このきのこが食べられることは図鑑にも載っている。
(4) このボールペンはもう書けませんので、他のを使って下さい。

 

3. 可能表現中所運用的格

(1) このクラスではマリアさんまだかたかな書けない
(2) 山村さんイタリア語話せることはみんなが知っている。
(3) 僕には物理学の専門書など読めない

 

●可能形的造句法中-「格」有下述三種形式。

①[人] が [もの/こと] を〜可能形

(4) マリアさんがまだ漢字を書けないことをみな知っています。
 

② [人] が [もの/こと] が〜可能形

(5) マリアさんがまだ漢字が書けないことをみな知っています。
 

③ [人] に(は) [もの/こと] が〜可能形

(6) マリアさんに(は)まだ漢字が書けないことをみな知っています。
 

●「格」的形式的使用區分上-並無明顯的規則、不過有以下的傾向。

「目的語」和「動詞」之間-存在其他要素之時--常用「〜が〜を」的句型。
 

(7) ワープロ{ ○を/?が}、今度の新入生から、1年生の間に打てるように、カリキュラムを組み直すことになりました。
又者、「する」的可能形「できる」的目的語的場合--使用ガ格比較自然。
 

(8) どいてどいて。掃除{?を/○が}できないじゃないの。
 

●「〜に(は)〜が」的形式--有「意味上的制限」。在表現「心情的・能力上」的不可能的場合---較常使用「〜に(は)〜が」的形式。
 

(9) 彼女をだますなんて、僕{には/は}できない。
(10)君{には/は}そんな難しい問題は解けないよ。

 

相反的、如例句(11)--在表現「因状況而導致之不可能」的場合、以及例句(12)的場合--表現「能力上的可能」的場合、則較難運用「〜に(は)〜が」的形式。
(11) 忙しいから、僕{?には/○は}その仕事ができない。
(12) 僕{?には/○は}300の漢字が書けます。

 

●例句(13)--表示「所出之處所」(「出どころ」)的場合--「ヲ格」不能以「ガ格」代換。
(13) 忙しくて研究室{○を/×が}出られない。
 

●目的語加上ガ格的表現法-常見於「わかる」等對他物少產生作用性的動詞以及表示希望的「〜たい」的一部分的詞彙

目的語をガ格で表すのは、「わかる」など他に働きかける性質の低い動詞や希望を表す「〜たい」の一部が持つのと共通の性質です(→S2)。

 

4. 〜ことができる

(1) 田中さんは3か国語を{話せる/話すことができる}。
(2) 帰国して5年。イタリア語もすっかり{話せなくなった/話すことができなくなった}。

●可能形與「〜ことができる」除微細的差異以外、可相互代換---意味上並無太大不同。

●動詞的受身形不可變成可能形、不過-可以運用「〜ことができる」的句型。
(3) ささいなすれ違いから意地を張ってしまって、素直に{×愛されられなかった/○愛されることができなかった}。
 

5. 見える・聞こえる (自発)

(1) ここから富士山が見える。
(2) 隣の部屋から音楽が聞こえる。

 

●自発構文是以「([人]には) [もの/こと] が〜自発形」的造句法來表現。
(3) 目を閉じると、ぼくには懐かしい故郷の風景が見える。
 

●「自発」有著「自然とそうなる」這樣的意味、用於欲將眼前所發生的事物如實傳達的場合。此時不能使用「可能形」。
(4) あ、富士山が{○見える/×見られる}。
(5) おや、虫の声が{○聞こえる/×聞ける}。もう秋だなあ。

 


對電視節目.比賽.演奏等有意識地傾注注意力的場合--要使用可能形--不可用自發形

(6) 電車に間に合えば、9時のドラマが{×見える/○見られる}。

(7) やっとコンサートのチケットを手に入れた。これであの歌手の歌が{×聞こえる/○聞ける }。

(8) このボタンで選べば、好きな曲が{×聞こえます/○聞けます}。
 

如以下例句、除了有意識地傾注注意力、而且還有「如果是這樣....於是自然地就」(「そのような状況になれば、そこでは自然と〜」)的意味之時、基本上-可能形或自發形両者皆可使用。

(9) 東京タワーに登れば、富士山が{○見える/○見られる}。

●有「自発形」之動詞--尚有「思う(思われる)、待つ(待たれる)、案じる (案じられる)」等、不過並非所有動詞皆有自発形。
 

●有人認為「売れる」及「(問題がすらすら)解ける」等是為自発形、不過一般的看法認為--「売れる」及「(問題がすらすら)解ける」是與「売る」や「解く」等他動詞相対応的自動詞。

 

 

●在学校文法中、五段動詞 (此處所謂 I類動詞)之表現可能的形 (「書ける」等)是、視之為與語幹融合、遂將單字整体稱之為可能動詞、一段動詞(Ⅱ類--原文誤植為I類)是在語幹加上助動詞之ラレルが付いた形であるとします。另一方面、日本語教育則將之全部稱為動詞的可能形。

                    I類(五段)書ける   Ⅱ類(二段)食べられる     する(サ変できる)
日本語教育   動詞の可能形
学校文法    可能動詞                 語幹+助動詞      特殊形

 

「可能」表現、若以文法的特徴做區分-可分為以下四種。

①表現    「人..等所擁有之現在就實現的能力」的場合

(1) 一晩かかってレポートがやっと書けた。
 

此種場合、也可加上表示継続的「テイル」。
(2) あのころは順調に論文が書けていた。
②表現「人...等之潜在的能力」的場合
 

(3) 僕にはそんな難しい問題は解けない。

③表現「目的語所有之潜在的被動作之可能性」的場合

動作主的存在薄弱化-這種表現是用以表示--以ガ格所表示的物或人-一般而言-是否有接受動作的可能性

(動作主の存在は薄れ、ガ格で表されるものや人が一般的に動作を受ける可能性があるかどうかを表します。) 

 

(4) あのかえるは食べられます。

英語中以-able/-ible結尾的形容詞的句子--則與此相當。
④一方面在表現目的語之潜在的被動作之可能性--同時-說話者也在對属性下判断

原則上只能用於說話時--不可用於過去。
 

(5) この酒は飲める。(=「おいしい」這樣的評価)
 

2. 可能表現之意味所列舉的用法乃是其中的②及③的用法。

綜上所述--可結論如下表。

*A是動作主、B是動作的対象。在此場合-V表示動詞的可能形。
 

在①及②之中-自動詞的場合-沒有B的部分。又者③之中--A之所以會畫上網線、因為A雖存在-不過不會表示在表面上。

 

このような可能については久野障(198)第9章や渋谷勝己(1995)などが参考になります。また可能形と「〜することができる」の違いについては渋谷勝己 (1995) に細部に渡って違いが述べられています。
●規範的な立場から否定的な意見の多いラ抜きことばを可能形の未来の姿として肯定的にとらえる立場もあります。可能・受身・尊敬はもともと動作主をぼかすという機能から生まれ「〜れる・〜られる」という同じ形をしていました。I類の「書かれる」とI類の「食べられる」は受身でもあり尊敬でもありなおかつ可能でもあったのです。しかし、それではあまりに一つの形式の負担が大きいということと方言の可能形にいろいろな形があったこともあって、まずI類が「書ける」という形に変わり、それからかなり遅れて今 「食べれる」という形が優勢になりつつあるのです。
国立国語研究所の1974年の調査では、東京の10代で8割近くの人が「食べれる」という形を使っています。一方で、可能の意味での「書かれる」 「行かれる」の形なども世代や地方によっては残っており、これらをまったく排除して、I類動詞では「書ける」だけが、I類動詞では「食べられる」だけが正しい形であるとは言いにくいようです。可能形の変遷については小 翻 松英雄(1999) が簡便にまとまっています。
 

●可能は、動作主の持っている能力として「〜できる」能力可能と状況が許すから「〜できる」という状況可能という分け方もあります。
 

(6) 私はまったく泳げません。(能力可能)

(7) 今プールが改修中なので泳げません。(状況可能)
 

これらは共通語では形式が使い分けられていませんが、関西などの方言では 状況可能に「ヨー泳ガ(へ)ン」の形を使いにくく、また、イタリア語など のロマンス語では能力可能の場合は「知っている」の意味の動詞を使います。

また英語などでは可能を表す形式 (英語ではcan) が「〜ことがある」 「〜かもしれない」という可能性を表すこともあります。日本語では「〜こ とがある」や「〜かもしれない」を動詞の可能形で表すことはできません。
 

●可能に類する意味の「〜える/うる」「〜かねる」は中上級編で扱います。
 

○参考文献(原文所列文獻)

久野 瞭(1983)「新日本文法研究」大修館書店

小松英雄 (1999) 「日本語はなぜ変化するか」笠間書院

渋谷勝己 (1995) 「可能動詞とスルコトガデキル-可能の表現」「日本語類義表現の文法 (上)」 くろしお出版

 

附錄

コラム「−(ら)れる」の意味

S8の可能、S30の受身、S32の敬語の三つのセクションで「− (ら)れる」 が出てきます。一つの形式が複数の意味に対応しているので、初級段階では意味の特定が難しいことがあります。ここでは「ー(ら)れる」の意味の特定の しかたについて考えてみましよう。

まず、活用の種類と可能・受身・尊敬の形の対応を確認しておきます。

以下では、ラ行以外のI類動詞の可能の場合は対象としません。
A)「− (ら)れ」が含まれている形の動詞から「−(ら)れ」を除く (= 動詞が「−てい」を含まないときはル形/タ形に変える、「−てい」を 含むときはテイル形/テイタ形に変える)と格関係がもとの文と変わっ てしまうなら「受身」
 

最初の基準は「受身」とそれ以外を区別するものです。受身文では能動文と 格関係が変わるので、動詞の形を上のように変える(=能動文にする) と格関係が変わってしまいます。


(1) 「−てい」を含まないとき

  a、男性が殺された。

   → b、男性が殺した。

(bは格関係がもとの文aと変わってしまうので、aは受身)

      「−てい」を含むとき
  c、男性が殺されていた。

   → d、男性が殺していた。

(dは格関係がもとの文Cと変わってしまうので、Cは受身)
 

(2)   a、先生が新しい本を書かれた。
   → b、先生が新しい本を書いた。

(aとbの格関係が変わらないから、aは受身ではない)
 

この基準から(1)aと(1)cは「受身」であり、(2)aは「受身以外」であることがわかります。
 

B)主語が敬意の対象にならないときは「可能」、そうでなければ「尊敬」
 

次は「可能」と「尊敬」を区別する基準です。「尊敬」の主体は主語 (→コラム「主語」) なので、主語が敬意の対象でなければ「可能」となります。
 

(3) a、先生はボールを遠くに投げられた。(I類・尊敬)
     b、息子はボールを遠くに投げられた。(I類・可能)

 

この基準から(3)aは「尊敬」であり、(3)bは「可能」であることがわかります。なお、I類の場合は「尊敬」と「可能」は次の(4)a、(4)bからわかるように形が違うので、よりはっきりわかります。
 

(4) a、先生は100mを12秒で走られた。(#走れた) (I類・尊敬)
     b.、息子は100mを12秒で走れた。(#走られた)(I類・可能)

 

この場合 ( ) の表現は敬語の運用上の問題から不適切になります (→S32)。 以上を図示すると次のようになります(ラ行以外のI類動詞の可能の場合とラ抜きことばを除く)。
 

このように「− (ら)れる」の意味の判別はなかなか困難です。可能形やラ 抜きことばはこうした困難を避けるために生まれたものです (→S8)。

 

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